この森へ帰ってきたのも、女神祭に参加したのも、魔王シェリスの目的は初めから終わりまでただ一つだった。
すなわち、「エルフの森を守る巨大な結界の秘密を見つけ出し、その守りを解き、自らの軍を率いてこの森を踏み潰す」こと。
そして今、その好機が訪れたのだ……。
「うわあ! すごく綺麗な花火!」
「編集長、やるじゃないか…。普段はあんなにだらしないのに…」
「女神祭は三年に一度だもんね。編集長も溜まってた鬱憤を晴らすみたいに、今回は本気で頑張っちゃったんじゃないかな~!」
兄とキアナに挟まれ、ランシェは空一面に咲き誇る色とりどりの花に夢中になっていた。ダッシュと彼の幼馴染は、自分たちの印象とは異なる優れた一面を見せた出版社の編集長、魔女ラルヴィに珍しくも敬意を払っていた。彼らの記憶の中のラルヴィは言うなれば大きなヒロカのようなもので、編集者としての能力は疑いようもないが、それ以外はまるで生活能力のない人間だった。編集長が魔女であるという噂は多少耳にしていたが、子供たちは彼女にこんな一面があるとは全く知らなかったのだ。
もちろん、だからといってダッシュとキアナが彼女を本当に何か特別な、偉い大人として見るようになったわけでもないのだが。
「ふん……」
一方のローランは、最初からあのラルヴィに何の好感も抱いていなかった。ただの騒々しい魔女、としか思っていない。花火を打ち上げられるから、それがどうしたというのか。それに彼女は特に花火を見るのが好きなわけでもない。只、兄と妹があれほど夢中になっているので家族の雰囲気を壊すのも悪いと思い、仕方なくぼんやりと空を見上げているだけだった。
「美しい……花火に照らされたローラン様は、あまりにも美しすぎる…」
もちろん、一人だけ全く花火を主役として見ていない人物がいた。ソラは愛情に満ちた眼差しで、一瞬たりとも目を離さずローランをじっと見つめている。その頭上からは、もはや、いくつかハートが浮かび上がっているのが見えるかのようだ。
ソラにとって「花火」など取るに足らない。「花火の下のローラン」こそが、記憶に焼き付けるべき絵画なのだ。
だが、もう一人、その心が全く花火に関することに向けられていない人物がいた。先ほどのラルヴィの話を聞いてから、シェリスの胸中にはある陰謀が芽生えていた…。
「おい、ソラ」
彼女はソラのそばへ行き、他の者には聞こえない声で話しかけた。
もし他の誰かがソラのローラン鑑賞の時間を邪魔したなら、ソラは即座に無視し、追い払っただろう。だがシェリスは違う。愛する人の母親に呼びかけられ、ソラもすぐに振り返って応えた。
「はい! シェリス様、何か御用でしょうか?」
「以前、私がお前にやったあの簪(かんざし)だが。あれを金に換えて、お前たちの家の家宝は取り戻したのか?」
「あ…はい! 次の日にすぐ質屋で換金し、武器屋の主人に七千万エルフ幣の現金を納めましたわ! ご覧ください! これです!」
ローランのためにお金を使うと言っておきながら、結局はアーシュ家のお金を受け取ってしまったことにソラは多少の罪悪感を感じていた。だが自分のあのあまりにも軽率な行動を正さなければ、確かに大きな騒ぎになりかねなかった。たとえ自分が公爵令嬢であっても罰を免れることは難しい。ソラはもちろんこれ以上事を荒立てる勇気はなかった。
彼女はシェリスの指示通り、順調に簪を現金に換え、ドン・キホーテからそこに担保として預けられていた家宝を買い戻したのだ。自分が嘘をついていないことを証明するため、ソラは首にかけていたそのネックレスを外し、シェリスに見せた。間違いなく、それは食事を共にしたあの日にソラが身につけていた家宝そのものだった。
これは自分が罰を免れるためであると同時に、自分が聞き分けの良い子であることをシェリスに示すためでもあった。
家宝が無事にソラの手に戻ったのを見て、シェリスもひとまず安堵の息を漏らした。もしソラが、命の次に大事なものを助けるための金でまたしても派手な浪費をするようなエルフだったなら、シェリスは二度とソラがローランと付き合うことを許さなかっただろう。彼女がまだ道理をわきまえ、忠告を聞き入れるのなら、まだ信用する価値はある。そのため、シェリスはどこか諭すように優しく言った。
「取り戻せて良かった。もうこのような馬鹿なことをするでない。お前の無意味な強情は、ローランも喜ばん。何事も、身の丈に合ったことをするのだ。わかったな」
「はい! ありがとうございます、シェリス様! 必ずや、そのお教えを心に刻みます!」
あの事件は、これで完全に幕を閉じた。ソラはシェリスに深々と頭を下げて感謝した。
やはり人の親として、シェリスもまず子供たちが頭を悩ませていた問題を確認せずにはいられなかったのだろう。それが無事に解決したと知り、彼女も思わず娘たちのために安堵し、心からの助言を与えたのだ。
だが、挨拶が終わった後こそ、シェリスがソラに話しかけた本当の目的だった。
「そう言えば、先ほどラルヴィが、お前たちマータ家の者も今回の女神祭に来ていると言っていたが…。それ本当か?」
「はい! 母は来ておりませんが、父が重要な会議があると言って、特別にこの村の近くまで駆けつけておりますの!」
「重要な会議…。何を話し合うのだ? 場所はどこだ?」
「会議の内容は…存じません。父がとても大事なことだと言って、教えてくれませんでした。でも、会議の場所なら、おそらくあそこだと思いますわ」
そう言うと、ソラは村の西側を指さした。
「あちらに迎賓館がございますの。普段から貴族の集会場として使われておりますから、今回もそこで会議を開いているはずですわ!」
ソラが指し示した方向に、シェリスは見覚えがあった。村へ帰ってきた次の日、ランシェを学校へ送った後、その辺りをぶらついたことがあるからだ。そこには四方を高い壁に囲まれ、鉄の門で固く閉ざされた一角があり、その中に大きな建物が一つあった。そしてそこで、シェリスは巡回中のエルフ族の衛兵に尋問されたのだ。
ソラが指している場所は、間違いなく、そこだ。
「フフ……」
極めて重要な情報を手に入れたシェリスは、思わず口の端から冷たい笑みを漏らした。
ソラは、ローランの母親に良い印象を与え、ローラン一家とより親しくなるために、何の疑いもなくシェリスの全ての質問に答えた。彼女は、ローランの母親が一体何を企んでいるのか全く知らない。ましてや自分の答えがどのような結果を招くことになるのか、想像もしていない。
もちろん、シェリスも彼女にそれを知らせるつもりはない。彼女はただ手を上げ、そっとソラの頭を撫でて彼女を褒めた。
「お前は本当に良い子だな、ソラ」
「えへへへ…」
シェリスの言葉の真意を誤解し、自分が本当にローランの母親に認められたのだと思い込み、ソラも思わず嬉しそうに笑った。
もはや、ソラにこれ以上尋ねる必要はない。シェリスはソラに、今のことは忘れて引き続き女神祭を楽しむように言った。ソラも無邪気にローランのそばへ戻り、愛する女性の姿を再びその目に焼き付け始めた。
子供たちの視線が全て空へと向けられている今こそ、シェリスにとって絶好の行動の機会だった。
「おい、クルイ」
子供たちに気づかれないように、シェリスはゆっくりと彼女たちから離れて夫のそばへ行き、ただ一言そう告げた。
「少し、席を外す」
「お前…まさか…」
「そのまさかだ」
「……」
他の者たちは知らないが、クルイは非常によく知っている。自分の妻が世界征服を企む大魔王であることを。今回家に帰ってきた目的も、ただの里帰りなどではない。先ほどラルヴィが貴族たちがこの近くに来ていると聞いた時からクルイは不吉な予感を覚えていた。シェリスがソラを一人呼び出して何かを話していたのを見て、クルイは具体的な会話の内容は知らずとも、大体の見当はついていた。
自分の妻はきっと、エルフの森を守る結界を解くために行動を起こすのだ。
エルフとして、そんなことは起きてほしくない。だが彼はシェリスを深く愛している。ましてや自分にはシェリスを止める力などない。もし森を守る結界が解かれれば、自分を育んだこの森、自分が生きるこの土地は焦土と化し、血と殺戮に満ちるだろう…。
その全てが、自分の妻の手によって計画されているのだ。
「お前…本当に、やるのか?」
「当然だ」
「…なら、子供たちはどうする?」
「もし奴らが私がいないことに気づいたら、へ行っているとでも言っておけ」
「………わかった」
どうしようもなく、クルイもそれを黙認するしかなかった。それに彼が黙認しなかったとして、どうなるというのか。シェリスの前に立ちはだかって行かせないとでも言うのか。そんなことをすれば、おそらく最初に殺されるのは自分だろう。
クルイが死ぬのが怖いというわけではない。だがそれでは何の問題解決にもならないのだ。シェリスは自分を殺した後、何のためらいもなく計画を実行するだろう。下手をすれば子供たちもその毒牙にかかるかもしれない。全く一つも良いことはない。
いずれにせよ、シェリスは今のところまだ子供たちに手を出すつもりはないようだ。ましてや結界は森を数百万年も守ってきた、クルイはそれが一夜にして、解けると言って解けるようなものではないと信じている。今は、この自分たちの種族を百万年も守ってきた結界を信じ、そしてシェリスが今はもうあまりにも無茶な行動はしないと信じるしかない…。
彼は、黙認することを選んだ。
「行ってこい。子供たちのことは、俺がうまく理由をつけて時間を稼いでおく。だから、安心して…」
「…お前が何を考えているか、わかるぞ」
だが、シェリスも何も考えずに突っ走るような猪武者ではない。クルイの反応を見て、彼が何を考えているのか推測するのは難しくなかった。何しろ十数年も連れ添った夫婦であり、子供たちの親なのだ。シェリスはクルイのことも知り尽くしている。もしクルイが何か心配しているなら、シェリスは、その心配を拭い去ってやる。
「言ったはずだ。我が軍がこの森に侵攻する前に、信頼できる部下を寄越して、お前と子供たちを魔王城へ迎えさせると。たとえお前が行かぬと言っても、私にお前に拒否権を与えるつもりはない。そして私がお前にそう保証したからには、今夜この森を滅ぼすようなこともしない。今の我が軍にとって戦争を仕掛ける良い時期でもない。いずれにせよまだ多くの時間がかかる…。だからお前が恐れることは何もない。私はただ情報を集めに行くだけだ。お前は子供たちと祭りを楽しみ続ければいい。何も騒ぎは起こらん」
「そうか…」
シェリスの言葉を聞き、クルイは多少安心した。だが、だからといって彼が完全にこれらの問題を忘れ、享楽にふけるわけではない。たとえエルフの森が今夜陥落しないとしても、妻が一日でもその目的を諦めない限り、この森は常に危険に晒されているのだ。
なぜ自分だけがシェリスの正体を知り、なぜ自分だけが親しい者と故郷というこんなにも辛い選択を迫られなければならないのか…。クルイには理解できなかった。
彼は自分が心配していないことを示すため、無理にシェリスに笑顔を向けた。だが固く結ばれた眉が、彼の本当の気持ちを裏切っていた。
そんな強がる夫を見て、シェリスはすぐに応えた…。
「ちゅ」
シェリスはクルイの襟を掴み、彼の頭を自分の前へ引き寄せて、つま先立ちになり、そっと彼の頬に唇を押し当てた。続いて両腕をクルイの首に回し、その耳元で優しく囁いた。
「安心しろ、クルイ。私は魔王であると同時に、お前の妻であり、子供たちの母親だ。この三つの立場、私はどれ一つとして忘れてはいない。そして、どれ一つとして諦めるつもりもない。私はお前を愛しているし、子供たちも愛している。私は魔王、いずれ世界の支配者となる者だ。だから私は、私の感情に、私の意思に背くようなことはしない」
「シェ…シェリス…お前…」
妻の突然の口づけにすっかり動転してしまい、クルイはどう答えればいいのかわからなかった。ただ顔を真っ赤にして、どもりながら言葉を紡ぐだけだった。
そしてシェリスは夫を放すと、うろたえるクルイを残し、ゆっくりと村の西側、すなわち彼女の目的地へと歩き去っていく。去り際に、彼女はその後ろ姿だけでこんな言葉を残した。
「忘れるな。我々は、永遠に、一つの家族だ」
「………家族…」
シェリスの言葉を繰り返し呟きながら、クルリはシェリスの唇が触れた場所をそっと撫で、激しく脈打つ心臓の鼓動を感じながら、その場に呆然と立ち尽くしていた…。